大正9年のこと。
最初は川西機械製作所の一部門。
仕事はなかなか積極的で、同所の飛行機は各地の飛行競技で名を上げる。
なお、大正12年には1坦こさきがけて、輸送会社も設立した。
名称は日本航空株式会社、昭和3年には、日本航空輸送株式会社に発展、これが現在の日本航空の前身です。
技術革新にも意欲的で、昭和の初めごろ、一時世界的に流行した太平洋横断飛行の企てにも率先して参加、設計者関口英二、テストパイロット後藤勇吉のコンビで推進したが、不幸、昭和3年2月、後藤氏は事故死、この企ては頓挫したが、ともかく、先駆的気風に富む会社であるという印象を、日本の航空史にとどめたのです。
なお、戦時色が濃くなってから海軍専管の工場となり、特に飛行艇の生産の特技を誇る。
そして、後々電動スクーターが誕生するのです。